生き×居きコミュニティの居場所をはじめてもうすぐ15年。
設立初期の頃はひきこもりでない若者の居場所【カテゴリーは設けない】は一般の人はおろかNPOや青少年・若者支援に近い場で関わる人にもあまり理解されなかった。
私が『若者向けの(カテゴリー等限定しない)居場所を創りたい』と言った事に対して
『皆、そうじゃん何でそんな場所にお金を出さなきゃいけないの』や
『特に必要ないんじゃない』と酷いときには言われもない批判、そうでなくとも『何で?』と感じた人が多かったと思う。
また不登校やひきこもり支援に関しても学校に復帰する事や会社で働く事。
『皆、本当は学校に行きたいと、就職して働きたいと思っている』という『正解』がありそれに対して様々な手法があったように思われる。
今は『正解』は分からない。
正解は個個人が考え決断していくもの、特定のカテゴリーでなく、生き・辛さというカテゴリーに限定しないワードが広がり自然と若者や現役世代の居場所が少ない事や必要性がある事が話しやすくなったように感じる。
そうした点においては少し生きやすくなってきたかもしれない。
生き×居きコミュニティ
奈良橋
設立初期の頃はひきこもりでない若者の居場所【カテゴリーは設けない】は一般の人はおろかNPOや青少年・若者支援に近い場で関わる人にもあまり理解されなかった。
私が『若者向けの(カテゴリー等限定しない)居場所を創りたい』と言った事に対して
『皆、そうじゃん何でそんな場所にお金を出さなきゃいけないの』や
『特に必要ないんじゃない』と酷いときには言われもない批判、そうでなくとも『何で?』と感じた人が多かったと思う。
また不登校やひきこもり支援に関しても学校に復帰する事や会社で働く事。
『皆、本当は学校に行きたいと、就職して働きたいと思っている』という『正解』がありそれに対して様々な手法があったように思われる。
今は『正解』は分からない。
正解は個個人が考え決断していくもの、特定のカテゴリーでなく、生き・辛さというカテゴリーに限定しないワードが広がり自然と若者や現役世代の居場所が少ない事や必要性がある事が話しやすくなったように感じる。
そうした点においては少し生きやすくなってきたかもしれない。
生き×居きコミュニティ
奈良橋
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